目次
1.ビル・ゲイツの経歴について
パソコンのOS、Windowsのメーカーマイクロソフト社の創業者で知られるビル・ゲイツは、スタートアップから現在においても凄い人物です。
1955年にアメリカのワシントンで生まれた彼は、今や実業家や慈善活動家に作家、そして教育者としての肩書を持っています。
これまでの数々の功績を評価され、イギリス女王から名誉騎士の授与を受けたり、日本では立教大学や早稲田大学から名誉博士が贈られています。
ビル・ゲイツの家庭は比較的裕福でしたが、彼自身は自分のことにあまりお金を使う方ではなく、教会の日曜学校に通ったり聖歌隊で歌うなど今からすると普通の印象です。
しかし、小学校時代にはIQ160を記録しており、優秀な生徒として卒業しました。
学生時代にはゼネラル・エレクトリック社のコンピュータに触れる機会があって、それがマイクロソフトの創業者としての原点になっています。
また、当時は高価でサイズが大きかったコンピュータですが、偶然にも無料で使えるチャンスを得て、コンピュータについての知識を深めるに至ります。
ところが、ビル・ゲイツにコンピュータを貸していた企業は倒産してしまい、彼がコンピュータを学ぶ機会が失われてしまいます。
2.ビル・ゲイツがマイクロソフトを創業する切っ掛け
丁度そのころ、ISIという会社から給与会計システムの作成が依頼され、開発費を受け取る代わりにコンピュータに触れる権利を手にします。
ただ、当時はプログラムの知識と経験が浅く、開発は非常に難航したそうです。
マイクロソフトを創業する切っ掛けになったのは、高校時代に学校の先輩でもあるポール・アレンと出会ったことです。
ポールとは交通計量システムの開発で協力することになり、ビジネス的に営業を続けていましたが、結局のところ大きな成果は出せていないです。
それでも、この経験が経営者ビル・ゲイツのとしての経験となって、後々に活かされることになったのは確かでしょう。
彼の名前が広く知られるようになったのは、開発言語の1つBASICの移植です。
雑誌である記事を読んだ彼は、ポールの名前を勝手に名乗り、企業に製品を開発したので見て欲しいと売り込みます。
実はまだ何も作成されておらず、手元にない製品を売り込もうとした結果、チャンスを手にすることになります。
3.短期間の内に製品を開発するだけの技術的な自信もあった
最初に完成されたBASICを持ち込んだものと契約する、その約束を取り付けてから開発に着手し始めたのです。
つまり、当時のビル・ゲイツには既に行動力があって、短期間の内に製品を開発するだけの技術的な自信も有していたということです。
開発に必要なコンピュータを持っていなかった彼はまず、ポールの大学にあるコンピュータ上で動作する、エミュレータの作成から入りました。
これを利用して彼は本格的な開発を始め、僅か8週間という短期間で見事に製品を完成させています。
寝る間も惜しんでプログラミングに明け暮れたことで、驚異的な開発力を後に知らしめることになるわけです。
早速デモを披露する為に出発しますが、途中でプログラムの起動に欠かせないブートローダの開発を忘れていたことに気が付き、移動中の飛行機内で作りあげています。
4.1994年から2006年まで長者番付のトップに君臨
このエピソードもビル・ゲイツを代表する1つで、後の成功を予感させる成果だといえるでしょう。
1980年当時は、IBMやApple社がコンピュータ時代の到来を予感させ、パーソナルコンピュータ市場の誕生が目前に迫ります。
彼も市場への参入を夢見ており、IBMのPC開発に乗り出しますが、OSを自社開発ではなく既成品の改良を選択します。
やがてMS-DOSの名で知られることになった製品は、マイクロソフト社を代表する世界的な商品、Windowsの元となるOSです。
Windowsは目論見通り世界中で採用され、彼は1994年から2006年まで長者番付のトップに君臨することになります。
同社を辞めた後は、世の中の様々な問題に目を向けるようになり、違った形で取り組んでいます。